研究概要
研究課題名(課題番号):ラテンアメリカにおける政治的カタストロフ後の日常的位相(18H03453)
研究種目:基盤研究(B)
研究期間:2018-04-01 - 2023-03-31
研究代表者:石田智恵(早稲田大学 法学学術院)
科学研究費助成事業データベース:リンク
本研究の学術的背景と問い、目的
ラテンアメリカの多くの国・地域は、1959年のキューバ革命を大きなきっかけとして冷戦の直接的な武力衝突の舞台となり、1960年代から90年代にかけて軍政/民政下を問わず、ゲリラ組織、準軍事組織、正規軍、警察組織、自警団、「死の部隊」、諜報機関などによって多種多様な形で政治暴力が行使され、多くの人々の生を破壊した。内戦、紛争、弾圧、ジェノサイド、汚い戦争‥それらを表す語は様々だが、総じて政治的カタストロフと呼び得るこれらの事態は、現在までにはその「渦中」を脱し一定の収束をみたとされている。
政治的にはより安定したとされる21世紀の現代において、こうした近過去の暴力は社会にどのような跡を残しているのか。民政移管、和解、和平、あるいは移行期正義と呼ばれるプロセスを経て、何が「解決」され、何が持続し、またどのような別の問題が生じているのか。そして、直接・間接に被害を受けてきた人々やその後生まれた人々は、カタストロフ後の現在をいかに生きているのか。
こうした問いを念頭に置き、本研究プロジェクトは、ラテンアメリカにおける政治的カタストロフ後の現在の理解にあたってその日常的な位相に着目する。国家やそれに匹敵する規模の武力よって政治的に行使された暴力のインパクトは、直接の犠牲者・被害者ではない人々にも及んできた。その暴力は恐怖(傷めつけられる、暮らしを破壊される、殺される、行方不明にされることへの恐怖)という、他者に対して人間が抱く想像力の一形態を戦略として狡猾にも利用してきたからである。加害者と被害者の間でなされる「処理」や「解決」の外で、政治的カタストロフが社会に埋め込んできた人間の捉え方・扱い方がいかに日常生活に作用してきたのか、そして、人々がどのようにその暴力(の余波)に抗してきたのか、あるべき日常を回復するためにどのような努力をしなければならなかったのかを問わねばならない。
そこで本研究の目的は、ラテンアメリカにおける、しばしば数十年間にわたる政治的カタストロフ後の現実を捉えるために、人々の日常的位相に焦点をあて、各々の具体的な文脈に即してその問題のあり方を記述、考察することである。
本研究の独自性
本研究の独自性は政治的カタストロフの影響を、「日常」との関係から捉えることにある。すなわち、殺害・強制失踪・脅迫・追放・抑圧・密告・裏切りなど諸行為の対象/動作主として諸個人を把握させ、それらの力が働く場として社会を想像させてきたカタストロフの力学を考えるということである。そのため紛争状況を例外状態としてのみ理解せず、紛争下にあった日常性や、紛争の余波に目を向ける。「紛争終結」や「民政移管」の後の日常性は紛争下の日常性といかなる面において連続し、不連続であるのかを問うことで、内戦や紛争を非日常・例外状態とする社会における暴力の受け止め方とは異なる現実を浮かび上がらせる。この視点は、紛争の例外状態としての条件が失われつつある社会の今日的な治安維持をめぐる議論においても極めて重要と考えられる。
調査地(調査者)と内容・方法
- グアテマラおよびエルサルバドル(狐崎)・・・・激しい内戦が続いたグアテマラとエルサルバドルでは、和平協定の履行期間の終結後も内戦時代と同様な強度で暴力により日常生活が脅かされている。内戦終結後の暴力の態様と要因の解明を行ってきたこれまでの研究を発展させ、暴力の抑制に成功しつつある複数のコミュニティを対象にする。暴力抑止と地域復興の成功要因を、地域レベルの開発政策の特性に注目したアクター分析と制度分析によって解明する。
- コロンビア(柴田)・・・・コロンビアでは2016年に最大の反政府ゲリラ組織「コロンビア革命軍 FARC」と政府の間で和平合意が成立した。しかしFARCが若者の「居場所」となっていたスラム地域では和平合意に反して新たな武装集団を形成する動きもある。コロンビア太平洋岸の港町トゥマコでは、和平合意後にFARCを離脱し地元に残った若者たちをどのように和平プロセスに取り込むかが課題となっている。合意後における暴力状況、和平への課題をトゥマコ市の事例から明らかにする。
- コロンビア(近藤)・・・・1990年代末からコロンビア北部太平洋岸地域で武装勢力が台頭し、コロンビアとパナマの国境地帯に暮らす先住民エンベラの一部がコミュニティを離れ移住し始めた。コロンビア都市部やパナマ共和国内に越境移住したコミュニティを対象に、武装勢力がそばにいる日常生活の記憶と避難後の日常に現れる他者像について調査をする。
- ペルー(細谷)・・・・ペルーの国内紛争による被害を逃れて農村部から避難した先住民の多くは、人種差別と経済格差から都市部に居住することができず、スクオッターとして自己組織化し、都市周辺部に独自の居住区(バリオ)を形成してきた。現在それら組織は求心力を失い、新自由主義政策の影響下でバリオの住民は社会的に貧困層と位置づけられ、経済的上昇を成し遂げた人々は居住区を去る傾向にある。国内避難民となった人々のこうした生活戦略と第二世代の現状について調査し、人種・民族的要因による構造的格差を背景とするカタストロフ後社会を長期的視点から検討する。
- アルゼンチン(渡部)・・・・アルゼンチンのカトリック教会は1980年代の民政移管期にいち早く「国民的和解」を提唱した。そして軍政指導者らはこれを「恩赦(不処罰)」の根拠として利用した。その結果、人権侵害を黙認したカトリック教会に対する不信感から信徒の教会離れが広がる一方、ペンテコステ派教会、アフロブラジリアン宗教やスピリチュアル信仰の拡大がみられる。新たに台頭する宗教組織の考察から、世俗化が進むとも言われる民主化後アルゼンチン社会において宗教に期待されるものの変化を明らかにする。
- アルゼンチン(石田)・・・・主に軍政下で行なわれた「強制失踪」作戦の責任者の訴追が法で阻まれていた1990年代から2000年代前半にかけての「免罪法」の期間に「失踪者」の子どもたちの「正義」を追究する組織的活動は独自の市民的制裁の方法を生み出した。2003年以降の左派政権による人権政策にも大きく影響したこの市民運動の過程を跡づけ、国際的な人権論や国内法制度とは異なる「不正義」に抗する取り組みを明らかにする。